手放して楽になった習慣13選!暮らしが驚くほど軽くなる

ミニマリズム
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いつの頃からだろうか、自分の人生がただ流されるままになってしまったのは。

朝目覚め、仕事に出かけ、帰宅して食事をとり、お酒を酔うまで飲む、そして眠りにつく。

この一連の流れには何の問題もない。

それどころか、こうして一つひとつをこなして日々をきちんと過ごせていることに感謝すべきだと頭では分かっている。

でも、その一方で、なぜだか胸の奥が空っぽに感じられる瞬間が増えてきた。

日常は静かに進んでいくけれど、気づけばその時間がただ通り過ぎていく感覚に襲われる。

目の前に広がる風景も、耳に響く音も、いつの間にか心に響かなくなっている。

人生の大切な何かを見失ってしまったような気がしてならない。

それでも、毎日を「こなす」ことに忙殺され、立ち止まる余裕もなく日々を過ごしているただ、それだけなのだ。

私の本当の時間が再び動き始めたのは、物を減らすことに取り組んだことがきっかけでした。

この記事は、止まっていた時間を再び動かす力になることを、少しでも誰かに伝えられたなら、私にとっても大きな喜びです。

暮らしが軽くなった外側の習慣7つ

「減らす」選択で気づかされるのは、時間と経験の中で深く隠してきた本当の自分。

意識的に取捨選択をするということは、ただ漠然とした日々を過ごすのではなく、一つひとつの物事を丁寧に選び取ることで、本当に価値のあるものに時間やエネルギーを注ぐことを可能にします。

その結果、人は自らの心がどこに向かっているのか、自分が持つ時間の物語をどのように描きたいのかを深く見つめ直す時間を手に入れるのだと感じます。

ここでは、自分が意識せずとも手放すことができた7つの外側の習慣についてお話しします。

自分が嫌いになっていた仕事を手放せた

今の仕事を続けていれば、それなりの生活は手に入る。

給料もそこそこ良く、10年間積み上げてきたキャリアもある。

周囲から見れば恵まれていると言えるかもしれないし、自分自身もそう思おうと努力していた。

でも、胸の奥ではずっと違和感がくすぶっていた。

「このままでは、自分自身を嫌いになってしまう」と。

周りの目も気になったし、これからどうなるのかという恐れもあった。

それでも、それ以上に許せなかったのは、自分の本音を押し殺し、否定しながら生き続けることだった。

自分の本当の気持ちに背を向け、ただ日々を過ごすだけの生活を続けることが、自分自身にとって耐え難いことだった。

だからこそ、一歩踏み出す決断をした。

「自分の味方になる」という覚悟を持って、自分が本当に望む方向へ進む勇気を選び取ったのだ。

リスクはあったけれど、後悔は一切していない。

むしろ、その選択をしたことで初めて自分自身を大切にできたと感じている。

そして何より「私はちゃんと、自分の味方になれた」そう思えることが、何よりの誇りだ。

Sha
Sha

人生の時間は限られている。その大切な時間を、本当に価値のあることのために使わず、ただ無意識のまま消費してしまうのはあまりにももったいないことだと思う。

なんとなくの買い物を手放せた

ストレス発散を理由に衝動買いをすると、その瞬間は確かに満足感を得られるけれど、それはほんの束の間のこと。

そして、後から「また無駄遣いしてしまった」と自己嫌悪に陥る。

このループが繰り返されるたびに、何か大切なものを失っているような気がして、さらにストレスが募るという悪循環。

しかし、自分が本当に必要としているものや心から欲しいと思えるものにお金を使うよう心がけると、驚くほど変化があった。

本来の欲求にフォーカスすることで、無駄遣いは自然と減り、支出が抑えられるようになった。

結果として、以前はなかなか実現できなかった貯金も増え、心にも余裕が生まれた。

「これさえ手に入れば幸せになれる」という幻想に振り回され、それが本当に幸せな時間を与えてくれると思い込んでいないだろうか。

しかし、多くの場合、それは心の奥底にある「本来の欲求」とは異なる。

だからこそ、満足感はあっという間に消えてしまい、再び何かを欲しがるという無限ループに陥るのだ。

それでも、目の前にある手軽な選択肢に流されてしまうのは、「手に入れる」という行為そのものがもたらす一瞬の快感に魅了されてしまうからだろう。

しかし、このループから抜け出すのは容易ではない。

欲求を満たす瞬間の高揚感は、私たちの中に「次こそは本当に満たされるかもしれない」という希望を生み出す。

そのため、自分の行動を見直す機会を逃してしまうことがある。

Sha
Sha

本当に求めているものに気づけば、人生の選択や行動が変わるのだと思います。

お酒の量が減った

疲れて家に帰るたび、いつの間にかべろんべろんになるまでお酒を飲んで、そのまま眠りにつくのが習慣になっていた。

大好きなお酒を楽しむというより、その瞬間だけ自由と解放感に浸ることを求めていたのです。

しかし、それは本当に自由だったのでしょうか?

実際には、目の前の問題を直視する余裕を奪い、ただ現実から逃げるための一時的な手段に過ぎませんでした。

この習慣が変わり始めたのは、自分が本当に求めているものに目を向けられるようになったからです。

何を大切にしたいのか、どこに時間やエネルギーを注ぎたいのかを深く考えるきっかけを得たことで、日々の行動が少しずつ自然と変わっていきました。

人は、どこに向かって進めばよいのか分からないとき、まるで霧の中をさまようように迷子になってしまうことがあります。

その理由のひとつは、自分の目指すべき方向や目的が見えないまま、とりあえず目の前の道を進んでいるからかもしれません。

ただ、それは決して間違いではなく、時には迷いながら進むことが必要な場合もあります。

しかし、もし私たちが自分の心の奥深くに眠る「本当はこうしたい」「本当はこうでありたい」という感情や願いを見つけることができたなら、私たちの歩み方は変わるのではないでしょうか。

Sha
Sha

自分の中にある「本当は」を見つけることができれば、それは心のコンパスのように機能し、どの方向に向かえばよいのか自然とわかるようになります。

モノが減れば掃除の時間も手放せる

片付けても片付けても散らかる部屋。

めんどくさい。

「そもそもこの部屋にはモノが多すぎるのではないか?」

思いきって、引き出しの中をひとつずつ見直してみた。

読まないまま積んでいた本、何年も袖を通していない服、そして「いつか使うかも」と思って取っておいたものたち。

そのうちの9割が実際には全く使われていないことに気づき。

試しに1年に一度のペースで、必要ないものを少しずつ手放していったところ、驚くほどの変化が訪れました。

部屋が軽くなり、掃除の時間も圧倒的に短くなりました。

床に何も置かない状態を維持することで、掃除機をかけるのが簡単になり、物を持ち上げたり片付け直す手間も減りました。

「掃除しなきゃ」と思う回数自体が減ったのは、自分でも驚きでした。

片付けるものを減らすことが、いちばん近道だった。

そしてもうひとつ大きな発見がありました。

それは、この「取捨選択の力」は、掃除に限った話しではないということ。

必要なものだけを選び、いまの自分に合わないものを手放していく。

それは、モノだけでなく、人間関係や仕事、さらには日々の選択にもあてはまることでした。

「これは本当に、いまの自分に必要?」そう問いかける習慣を持つことで、暮らしを楽しむ選択ができるようになるのだと心から実感しています。

Sha
Sha

取捨選択の力を育てるには、自分にとって何が本当に必要なのかを問い続けることが欠かせません。その過程で、何を減らすかを自分自身で自由に決められるのだと気づきます。

ダラダラと時間をつぶす習慣を手放せた

なんとなく手に取ったスマホを開き、特に目的もなくSNSを眺めてしまう。

気づけば、次々と流れてくる動画に引き込まれ、いつの間にか時間が過ぎている。

画面の中では情報が溢れ続けているけれど、その一方で、頭はぼんやりとして、どこか心がざわついているような感覚が残る。

「何をしているんだろう?」という気持ちがふと湧いてきても、また次の動画へと手が伸びてしまう。

そんなある日、心の中で問いかける声が聞こえてきた。

「この時間、本当に楽しいの?」「自分が本当に手に入れたいもののために、何か行動できているの?」「大切にしたい時間って、どんな時間だろう?」。

それまでの自分にはあまり馴染みのない、こんな内省の言葉が浮かんできたのだ。

不思議なことに、モノの取捨選択を繰り返していくうちに、「自分にとって本当に大切なものは何か?」という問いが自然と習慣の中に織り込まれるようになった。

Sha
Sha

自分の時間が自分のものに戻ってくる感覚がありました。

その感覚は、新しいことに挑戦する際に伴う「恐怖」への盾となる役割です。

新しい行動を始めるとき、誰しも少なからず不安や緊張を感じるものです。

「失敗したらどうしよう」「うまくできなかったら周囲にどう思われるだろう」といった恐れが心をよぎります。

しかし、自分の時間をどのように使うかを決められると、恐れを感じたとしても、その感情に振り回されることなく、「これは自分が選んだ行動だ」という確信を持って、前に進むことができます。

やらなくてもいいことが明確になった

物を減らすことには多くの効果がありますが、その中でも特に注目したいのは、自分にとって「やらなくてもいいこと」が明確になるという点です。

日常生活の中で、私たちは知らず知らずのうちに多くの物やタスクに囲まれ、それらが優先順位を混乱させる原因となっています。

これらの不必要な物事に時間やエネルギーを費やすことが少なくなると、自分が本当に重要だと思っていることに集中する余裕が生まれます。

使っていない物を手放すことによって、物理的なスペースができるだけでなく、心理的な負担も軽減されます。

そしてその結果、「やらなくてもいい」タスクも自然と減少します。

散らかっている部屋を頻繁に片付ける必要がなくなったり、余分な持ち物を維持・管理するための労力を省けたりします。

さらに、持っている物が少なくなることで、自分が本当に必要としているものが何であるかを深く考えるきっかけになります。

この思考は、物理的な整理だけでなく、日々の選択や行動にも影響を与えます。

モノを減らすことで得られる最大の恩恵は、自分にとって「本当に重要なこと」にフォーカスできる時間を取り戻すことです。

無駄なストレスや雑念に惑わされず、自分自身の価値観や目標に基づいた行動を選択しやすくなります。

Sha
Sha

やらなくてもいいことが明確になったのは、モノを手放す選択から始まりましたが、その効果は日々の生活全般に広がり、自分を縛っていた無意識の義務感さえも、自然と手放すことができたのです。

誰かに合わせることを手放せた

「空気を読まなきゃ嫌われる」その考えがいつからか自分の中に深く根を下ろしていたように感じます。

他人の期待や場の雰囲気に敏感になりすぎて、必要以上に周りに合わせることを繰り返してきました。

そうすることで衝突や誤解を避け、周囲から受け入れられることを目指していたのかもしれません。

しかし、その結果、自分自身がどこにいるのかわからなくなり、気づけば「自分」が消えかけていたのです。

もちろん、時と場合に応じて空気を読むことは、コミュニケーションや人間関係を円滑に進める上でとても重要です。

しかし、その「空気を読む」という行為が無意識の義務になり、他人を優先しすぎることで、自分の気持ちや価値観を後回しにしてしまうことが問題です。

相手に合わせるたびに、自分の声はかき消され、心の中にかすかな違和感が積み重なっていく。

その繰り返しは、いつしか自分の軸を失わせる原因となります。

ある時、ふと立ち止まって考えました。

「自分は何のためにここにいるのか」「本当にこのやり方が正しいのか」と。

そこから少しずつ「自分自身でいる」という感覚を取り戻していきました。

それは、「他人に合わせる自分」から、「自分を大切にする自分」への移行でもありました。

「自分は自分でいい」という考えを受け入れることで、やりすぎない範囲で空気を読みつつ、自分の価値観も大切にするバランスを見つけられるようになったのです。

この「自分は自分でいい」と思える世界線では、周囲の反応にとらわれすぎず、自分の本音を大切にすることができます。

それは決して他人を無視することではなく、他人への配慮と自分の心地よさを両立させる選択です。

Sha
Sha

自分の描きたい物語を進め始めると、これまで想像もつかなかった新しい視点が広がり、世界観がさらに深まり進化していきます。

心が軽くなった内側の習慣6つ

暮らしを整えるためにモノを減らしたつもりが、気づけば、ずっと見ないふりをしていた「心の重さ」と向き合う時間が増えました。

完璧であろうとする自分、他人の期待に応えようとして無理を重ねてきた日々。

そして、振り返るたびに感じる過去の後悔や、まだ見ぬ未来への漠然とした不安。

そういった目に見えない荷物が、いつのまにか心の奥に積み重なっていたことに気づいたんです。

「すべてうまくやることが正解」「誰からも認められる自分でなければ」「人生の正解を見つけ続けなければ」そんな思い込みは、まるで心の鎧のように見えました。

でも、その鎧は同時に自分らしさを奪い、ありのままの自分で生きることを遠ざけていたのかもしれません。

モノを手放すことで暮らしを軽くできたように、心の中にも知らず知らずのうちに刷り込まれた「考え方のクセ」や「思い込み」を一つずつ手放すことも可能だと感じています。

むしろ、「何を選び、何を手放すか」の答えは、自分自身の内側にしかありません。

後半では、心の奥にしまい込まれた「内側の重さ」を解き放ち、心の軽さを取り戻していく内側の習慣6つについてお話しします。

完璧主義を手放す

完璧主義を手放すこと、それは「不完全である自分」を受け入れる勇気を持つことです。

この選択は、単に完璧を求める行為をやめるだけではなく、人生においてより深い視点を得るための大きな一歩になります。

人は本能的に成功や成果を求めるものです。

しかし、その追求が「完璧でなければ価値がない」という考えに変わるとき、私たちは無意識のうちに自分自身を縛りつけてしまいます。

常に完璧を目指す姿勢は、一見すると向上心や責任感の表れのように見えますが、実際には自己評価を厳しくし、失敗を恐れて行動を制限する要因にもなります。

その結果、私たちは大切な挑戦や楽しさを見逃してしまうことも少なくありません。

では、完璧主義を手放すとは具体的にどういうことなのでしょうか?

まずは、「失敗やミスは成長の一部である」という考え方を受け入れることです。

これまでの経験の中で、失敗をきっかけに新しいアイデアが生まれたり、自分のスキルが磨かれたりした瞬間を思い返してみてください。

そうした体験は、私たちにとって非常に貴重な学びの機会となっています。

完璧主義を手放すことで、こうした失敗の価値を見いだし、心の余裕を持って新しいことに挑戦できるようになります。

さらに、「すべてを完璧にする必要はない」と認識することで、時間やエネルギーの使い方にも変化が生じます。

たとえば、仕事や家事で100%を目指すのではなく、自分にとって最も重要な部分に集中することで、他の部分では「十分である」という基準を設けられるようになります。

このアプローチは、無駄なストレスを減らし、より本質的な成果を得る助けとなります。

人生には多くの選択肢や課題がありますが、そのすべてに全力を注ぐことは不可能です。

だからこそ、自分にとって最も価値があることを明確にする必要があります。

Sha
Sha

「手放す勇気」とは、単に物事を効率よく進めることを目的とするのではなく、本当に大切なことを見極めて選択する力を養うことです。

「本当にやりたいこと」や「自分にとって意味があると感じること」に心と時間を注ぐことこそが、生きる本質を見つける道なのかもしれません。

Sha
Sha

現実は厳しいことが多いけれど、もし日々の繰り返しが自分自身を形作るのだとしたら、自分にとって意味のある選択を積み重ねることこそが、本当の「価値」と呼べるのではないでしょうか。

他人からの評価を手放す

他人からの評価というのは、時に私たちの大きな助けとなり、前に進む力を与えてくれることもあります。

しかし、逆にそれが苦しみの原因となり、自分自身を見失わせてしまう要因になることも少なくありません。

だからこそ、最終的には自分の価値を他人に決めさせてしまう道を選んではならないのです。

私たちには、自分自身の価値を見極め、その価値を尊重する責任があります。

特に重要なのは、「自分の味方でいる」という姿勢です。

自分自身に対して「今日もよくやったね」と優しい言葉をかけてあげること。

それは決して自己満足にとどまるものではなく、自分に対する肯定感や、自己信頼を育む大切な行動です。

しかし、私たちはこの基本的な行動を忘れがちです。

忙しさや周囲からの期待、あるいは自分を過小評価してしまう癖が、このシンプルな習慣を妨げてしまいます。

他人からの評価や言葉というのは、時に天気のように移り変わりやすいものです。

晴天の日もあれば、急に雨が降る日もある。

私たちがそれを完全にコントロールすることはできません。

だからこそ、外側の変化に振り回されるのではなく、自分の内側にある軸を大切にすることが必要です。

その内側の軸とは、他ならぬ「自分がどうありたいか」という問いに基づいています。

他人の期待や評価に応えることで得られる一時的な満足感よりも、自分自身が納得し、誇りを持てる生き方を選び取ること。

それは時に孤独を伴う選択かもしれませんが、「自分がどうありたいか」という思いを大切にしていくと、自然と自分に共感し、惹かれる人々とのつながりが深まります。

Sha
Sha

他人の意見は驚くほどコロコロ変わる。

作り上げてきた自分の存在は、他人の中であっさりと崩れてしまうことがある。

それは本当の仲間と言えるのだろうか?

過去のトラウマを手放す

過去に経験した出来事やその結果を取り巻く状況は、どんなに望んでも時の流れを逆行させることは不可能です。

しかし、過去というものは単なる「出来事」だけで構成されているわけではありません。

実際には、私たちがその過去をどのように捉え、どんな意味を与えるかによって、全く異なるものに変化します。

私たちの「今」という瞬間は、過去の影響を受けています。

そして、それに支配されていることに気づかないまま過ごしているかもしれません。

例えば、過去の失敗や成功、誰かに言われた言葉、手にした成果や挫折。

それらはひとつひとつが私たちの感覚や行動に影響を与え、「今」の決断や感情を形作る力を持っています。

つまり、過去はすでに終わったものでありながら、私たちの現在にも確かに存在しているのです。

しかし、注目すべきは「過去は変えられない」という事実そのものではなく、その過去に私たち自身がどう向き合い、どう意味づけを行うかです。

過去の出来事そのものを変えることは不可能であったとしても、それに与える解釈や価値観は、完全に私たちの選択に委ねられています。

例えば、失敗を「自分の限界」として捉えるのか、それとも「次への挑戦の土台」として理解するのか。

それはすべて、私たちの思考と選択次第です。

過去に支配されるのではなく、自分自身の手で過去に新しい意味を与える。

自分の過去の出来事を否定するのではなく、その中から得たものを認め、未来にどう活かすかを考えることで、私たちは過去に対する向き合い方を変え、同時に「今」を新たな視点から再構築することができます。

過去そのものは変えられない。

それは誰にとっても真実です。

でも、その過去をどう受け止め、どう意味づけるかは私たちの手の中にあります。

Sha
Sha

「なんだか響かないなー」と思ったら、『嫌われる勇気』を手に取ってみるのもいいかも!きっと、「なるほど!」って過去との向き合い方が少しラクになるようなヒントが見つかるはず。気になる方にはリンクも貼っておきますね↓↓

ネガティブな思考を手放す

昔の私は、「自分には無理だ」とか「失敗したら恥ずかしい」といった気持ちに縛られていました。

過去を振り返ると、なぜあの時、あんなにも経験することに対して恐れていたのか、その理由すら思い出せません。

なぜなら、時間とともに経験を得て恐怖を乗り越えてきたからだと感じます。

気づいたことは、自分を守るために築いてきた予防線が、逆に自分の成長を妨げる遠回りとなる場合があるということです。

大切な時間を不安や恐怖に使いすぎてしまい、後になって「もっと経験に時間を使うべきだった」と後悔しています。

何かに挑戦することで得られる経験や学びは、たとえその結果が望む通りではなかったとしても、必ず自分の盾になってくれます。

それでもネガティブな思考が手放せないとき、その感情を無理に消そうとするより、むしろ受け入れることが大切だと思います。

恐れを感じるのは自然なことであり、挑戦する際に伴う心の反応です。

それを否定せず、「その感情がある自分」を認めることで、ネガティブ思考との関係性が変わってくるかもしれません。

例えば、自分の心の声に耳を傾けて、「なぜこれを怖いと感じるのか?」と問いかけてみるのも効果的です。

具体的な不安や恐れを言葉にすることで、それがどこから来るのかを理解しやすくなり、対処方法を見つける手助けになることがあります。

また、小さなステップから始めるのもおすすめです。

たとえ一歩が怖いと感じても、それが全体の挑戦の一部であると捉え、無理をせず徐々に進めることで、自分の内なる恐怖を少しずつ乗り越える力が養われます。

さらに、「自分が挑戦する理由」を明確にすることで、恐れを超えるためのモチベーションになるかもしれません。

「何を得たいのか」「なぜこれをやりたいのか」という自分の核心に触れると、恐れよりも挑戦する喜びや楽しみが前面に出てきてくれます。

Sha
Sha

恐怖は、挑戦するたびに薄れていきます。そして振り返ったとき、「あの時は怖かったけれど、挑んで本当に良かった」と感じる瞬間が必ず訪れます。

たとえ辛い経験であっても、新しい挑戦や学びによって、その記憶は新たに塗り替えることができます。

そう思えることが大事です。

執着心を手放す

忘れられない記憶に縛られてしまい、前に進むことができない。

きっと多くの人が経験することではないだろうか。

何度も過去を振り返り、そこに閉じ込められてしまう感覚に悩むこともある。

それが昨日の出来事であれ、遥か昔の記憶であれ「それは本当に今の自分に必要」なものだろうか?

その時間は終わった。もう戻ることもできない。

だからこそ大事にしたい時間は「なにか?」に気づかなければならないのかもしれない。

永遠はない。

過去にエネルギーと時間を使うのではなく、これからまた出会う「本当に大切な瞬間」のために「今の自分」を大事にする方が、後悔の連鎖を断ち切る鍵になるのかもしれない。

Sha
Sha

「もう戻れない」と思った瞬間に痛みに変わる。

あの頃の自分。

あの時そばにいた人。

心から笑っていた日々。

でも、それに執着しすぎると「どうしてあの頃に戻れないんだろう」「なんで、あの人はいなくなってしまったんだろう」そう思えば思うほど、せっかくの大事な思い出が、悔しさや寂しさの色に塗りつぶされていく。

そして気づけば、自分の手の中で、大切に守っていたはずの時間が、ぐしゃっと握りつぶされてしまう。

執着心は、ときに、自分たちが過ごした大切な時間を台無しにしてしまう。

そんな後悔より「幸せな時間をありがとう」で手放なせたら、心はずっと清々しい状態になれるのかもしれない。

不要な人間関係を手放す

不要な人間関係を手放すという選択は、一見冷たい行動に思えるかもしれませんが、実は自分の心を守る方法でもあります。

私たちは時間やエネルギーに限りがあるため、本当に価値のある人間関係に注ぐことが大切です。

それができるようになると、自分自身を無駄に否定することがなくなります。

例えば、繰り返しストレスや不安を感じさせる関係がある場合、その関係を持ち続けることで、あなたのエネルギーが消耗し、幸せな瞬間を減らしてしまうかもしれません。

また、過度に相手に合わせたり、相手の期待を満たそうと無理をすることで、自分の本音や価値観を見失うこともあります。

不要な関係を手放す際には、まず自分に以下のような問いを投げかけてみてください。

  • 「この関係は、自分にどのような影響を与えているのか?」
  • 「本当に大切にしたい価値観や目標に、この関係はどの程度寄与しているのか?」
  • 「その人との関わりが、自分の幸福感や成長を妨げていないか?」

こうした問いかけの結果、あなたが負担に感じている人間関係が見えてきたら、手放す方法を考える段階に移ります。

手放す方法は必ずしも劇的である必要はありません。

少しずつ距離を置く、連絡の頻度を減らす、または自然にフェードアウトさせるという選択肢もあります。

そして、適切なタイミングを選び、丁寧かつ思いやりを持ってコミュニケーションを取ることで、円満に距離を作ることができます。

不要な関係を手放すことにより、自分にとって本当に大切な人々とのつながりを強化し、時間とエネルギーを有効に使えるようになります。

Sha
Sha

人間関係を見極めることは、決して冷たい行動ではなく、自分自身を大切にするための判断です。

【まとめ】減らすことは自分を取り戻すこと

ずっと「足りない自分をどうにかしなきゃ」と思っていた。

だから、がんばった。無理もした。たくさんのことを抱えた。

でも、心が苦しくなっていたのは「やらなくてもいいこと」まで必死に抱えていたからだ。

なにを選び、なにを手放すか?

それを問うことは、今の自分を大切にするということだった。

減らすことは、勇気がいる。

でも、減らした先にしか、本当に大切なものは見えない。

あなたも、何かを追い求める中で、その目的が見えなくなってしまったとき、その迷いを解決するための鍵は「手放す」という選択にあるかもしれません。

Sha
Sha

記事を読んでいただきありがとうございます。自分の時間をsmileに

「全部はできないから選ぶ」

→モノを減らして得た自由時間で始めた7つのこと

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